2014/03/01 「かぜ」

ちくまの日本文学シリーズの宮沢賢治を買ったので、最近もにょもにょと口に出して読んでいる。私は「声に出して読みたい日本語」が好きな小学生だったのでした。風といえば風の又三郎

 

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

 

青空文庫でも読めるね。

 

風邪をひきました。たまごおじやとショウガ紅茶でとっととなおして、遊びに出かけたい。はやく春が来てくれますように。

2014/02/15 「オナカスイター」

雪ですね。今はもう雹? 家の外でパラパラと音がしているので、気になって外に少しだけ出てみたら、歩いた靴の跡がずっしりと雪にめり込んで、5センチ、10センチも沈んでいるのでとても楽しい気分になったところ。

昨日は雪で会社にいく必要がなくなったので、家の近くで母親と昼食をとった。

わたしはシーザーサラダとスープカレーを食べた。なかなか、おいしい。

 

人にご飯に誘ってもらうことがときどきあって、そういうときにたいてい食べたいものと嫌いなものをきかれる。わたしはたいてい「わさびとからしが入っていなければなんでも」とか、そういう答え方をするのだけれど、最近自分でご飯をつくらなければならないという状況になったとき、嗜好がかなり偏っていることに今更ながら気付いた。

基本的に大根とキャベツ、サラダが好き。海藻も好き。あぶらっぽいものが嫌いで、とり肉か魚が好き。誰かに作ってもらうのでもない限り、ポテトサラダなんて食べようとは思わないだろうし、マヨネーズを使うこともほとんどないと思う。

とっても「ヘルシー」な食の嗜好である。

 

ただこれは残念ながら、暴食スイッチが入っていないときの話です。

スイッチが入ってしまうと、なかなか止めることはむずかしい。

自らの快楽に身を任せてみると、肉、炭水化物、あぶら、甘いものが死ぬほど好き。でもそれらは私を一時的に死ぬほど幸せにしたあと、ゆるやかな絶望感に導きますから、困ったものです。

だから第一の予防として、スイッチを入れない努力が必要になる。けれど、それもまたむずかしくて、よく失敗をする。(関係ないけれど石川智晶の「スイッチが入ったら」、こういう気持ちになるたびに頭のなかで流れてくる)(まあそれでも昔よりはずいぶん良くなったかなとは思う。「まあそういうこともあるね」と言えるようになったのは、余裕のあらわれでしょう)

 

スイッチが入るのは、たいてい不幸せな気持ちのときです。どうしていやな気分のときにご飯が食べたくなるのかというと、いちばんには快楽を感じたいからだと思うけれど、数ある快楽のなかでも食にこだわってしまう理由のひとつは、気持ちだけの問題でなく実際に胸がつかえて呼吸が苦しくなるからだと思う。少なくともわたしにとっては、喉をおいしいもの、快楽を与えるものが通りぬけ、体を通り抜けていく瞬間がとても大切です。そしてお腹の中で苦しいほどに体を圧迫することで、私は息苦しさから逃れることができるように思う。

 

ところで、ちくまの宮沢賢治の小説集を購入しました。「やまなし」とか「よだかの星」とか「風の又三郎」とか有名な物語が多く入っているので、じっくり読んでみるつもり。とてもなつかしい。とてもきれいな言葉なので、短いものを選んで、つっかえつっかえ、朗読をしました。

体の中をきれいな言葉が通り抜けていくのは、とても素敵な気分で、心が浄化されるような思いになります。普段、多くのものは体の中を巡ることがなくて、文字を書くことですら、最近は指先だけで行われているような気がしています。そのせいで、私は喉や胸あたりがいつまでもつかえたまま。

でも、誰かの美しい言葉を読んで、声に出すことによって、飲み物を飲んだり、食べ物を食べるときのように、それらが体の中を巡っていくような気がしたのでした。そして、私はやっとのどにつかえたものを飲み下し、まともに息をすることができるように思う。

 

――まあ、お腹が空いたと思ったら、まずは誤認を疑い、深呼吸をし、水を飲んで、余裕ができれば詩か物語でも朗読しなさい。それがだめならそのときはそのときなのでしょ。

 

おやすみなさい。

不完全燃焼/スイッチが入ったら

不完全燃焼/スイッチが入ったら

 
宮沢賢治 (ちくま日本文学 3)

宮沢賢治 (ちくま日本文学 3)

 

 

2014/02/07 「眠る間少しだけ飛ぼうか」

友達に教えてもらった坂本真綾の曲をここ数ヶ月、よくきいている。

はるか昔に、一度きいて、そのときにはあまり好きになれなかったのだけれど、今はとてもいいなぁと思う。

 

はるか昔というのは、多分中学生のときで、TSUTAYAで「少年アリス」というCDを借りたのだった。(長野まゆみの同名小説が好きだったから)でもそのときは、なんだか安定感がありすぎる感じがして、ダメだったんだよなぁ。

まあ、あの頃は女声のなかでも高くてかわいくて細い声が好きだったから、合わなかったのでしょう。湯川潮音もきけなかった。(Coccoとか鬼束ちひろとか、柴咲コウの力強さのある声は、平気だったんだけど)

その頃よりはいくぶん大人になった、いま改めてきくと、透明感と安定感が、すごーく耳に優しい。歌詞やメロディだけでなく声の好みも変わるものだなぁとしみじみ。変わるというか、広がるというか。

 

相変わらず女の人の歌ばかりきいているのは同じだけど、好きなものがふえるのは嬉しいね。

 

坂本真綾、きいているなかでは、とくに「パイロット」が好き。これ、17歳のときの歌なの?すごいな。こういう曲が好きなあたり、今月にはまた年を取るというのに、まだ思春期を抜けられていないなと思うのでした。

2014/02/07 oxymoron

ところで矛盾はいとおしいものだ。

正しさなど、それは、とてもおそろしい。

撞着語法が、中学生のころとても好きだった。oxymoron。満月の闇夜、なんて素敵な、広々とした語感なのかと思う。

わたしは世界中の矛盾を愛したいのだ。誤謬を問いただすのではなく。正論などを振りかざすものになど、なりたくない。

ーーでも、そうだというのに、わたしはわたしばかりの正しさに縋って、そのほかを認めることがまるでできない。ある一定の分野において。

 

受け入れられないなど、おかしいではないか。なぜ?どうして?自問はその先に結ばない。

 

おそらくは、この受け入れられない矛盾を受け取って、いずれは受け入れることをしなくては、その次にはつながらないのだと思うけれど。

 

だめね。

2014/02/07

さっきのこと。

(いつもどおりの)くるしい気持ちだったので、30分はやく会社を出て、家に帰り、気持ちを立て直すために、洗濯物を取り込み、ものを捨て、スープを作りました。

やろうと思わなければ、これすら一苦労。なんだかとてもおつかれのよう。それとも、こういったことはいつもだったか、思い出せない。

でも、そういう作業を一つ一つこなしているうちに、先刻までの胸のつっかえた思いからは、すこし離れた位相にいることに気付く。そういうやり方を、もっと身につけないと、だめです。

2014/01/29 いい言葉とわるい言葉

いい言葉とわるい言葉があるだろうか。それとも、ただ言葉があるだけなのか。

そこに価値観を見いだすのは、もちろんわたし(主体)なのだけれど、なんにしても、わたしは言葉に疲れてしまった。

そこに並ぶのが例えば「汚い言葉」というのだとしたら、「きれいな言葉」というのがあるはずで、それにすがりつかないと涙が止まらなくなってしまったときに、それは何なのだろうと考えた。

そして、私が本棚から手にとった3冊。

1.『ラピスラズリ山尾悠子ちくま文庫

2.『重力と恩寵シモーヌ・ヴェイユちくま学芸文庫

3.『寡婦と香草』福田尚代/(自費出版物)

わたしはこれらに生かされている。こういうものが存在する世界でよかった。わたしが生きる余地のある世界ということだ。

 

今月読んだ本。つまり2014年に入ってから、読んだ本。

キッチン/吉本ばなな

何回目かわからない、再読。小学生の時からの付き合いで、大好きな本。なかでもムーンライト・シャドウが好き。でも改めて読むと「今だったら好きになれなかったかもしれない」と思う。そこもまた、好き。卒論にこの本のことを書いていたら、読んでくれた同級生と「この本が好きな人はわかってる感じがするよね」と話をした。少なくとも、悪い人ではないと思う。

ファースト・サークル/坂本壱平

ふぁーすとさーくるふぁーすとさーくる。よくわからなかった。

どちらでもいい/アゴタ・クリストフ

短篇集を読み切るには、どうしたらいいのだろう?

少女外道/皆川博子

上とおんなじ感想。でも短編の勢いは好きなので、読みきれなくてもいいか、という気もする。

雪の練習生/多和田葉子

わたしには文章を書くことができないのだととても悲しくなったけれど、うかぶイメージ(手触りや、においもふくめて)がとてもすてきで、動物を”飼いたい”だなんてばかなことだと思った。

 開かせていただき光栄です/皆川博子

ミステリだけど、ちゃんとしたミステリ小説だけど、それよりも先に街の感じがとてもいいのです。ロジックはわたしにとってあまり大切ではないから。(だって、どうせ分からない。)「死の泉」を読んだときも、浮かぶ、ここではない情景がうらやましくて、残酷だと思ったのだった。調べたら、続編がでているんだ。読んでみたいです。